自己紹介文

「なぜか辿り着いた東成区医師会」

初めて投稿させていただくので、自己紹介を兼ねてこれまでの自分を振り返ってみようと思いました。

私の故郷は三重県一志郡、今は津市白山町大字佐田というところです。いわゆる田舎、今では小学校の一学年10人前後の過疎地域です。中学、高校ではテニス(軟式)ばかりしていたため大学も浪人して北大の薬学部に入り、やっぱり外科医になりたいと思って同大学の医学部に入学しました。初期研修は京都大学、その後専門を心臓血管外科とし母校のある北海道で研修をしました。

北海道での心臓血管外科の駆け出しの頃白い巨塔的なヒエラルキーは当たり前のところで研修をしました。医局人事で札幌、八雲町、旭川、苫小牧と転々とし、アルバイトでは北見まで飛行機で行ったこともありました。

大阪に来たのは、2014年大学院生となったタイミングで国内留学という形で大阪大学の第一外科に来させていただきました。

当時、不可逆的な病、末期的な状態である心筋症に対して色々な治療方法の開発が研究されていました。北大では拡張型心筋症に対して外科的に治療を試みる左室形成術を当時の松居教授がされており、我々下っ端はその術後管理に全身全霊をかけておりました。一方阪大は重症心不全に対しては補助人工心臓と再生医療を用いて治癒を試みていました。

私は外科ではありましたが、学生時代にバイトで細胞薬理学教室に通い基礎研究の手伝いをしていました。そういうことがあり阪大では再生医療の研究にのめり込みました。2021年まで8年近く研究に携わることになるのですが、iPSから誘導した心筋細胞の臨床応用を教室挙げて進めている傍ら私は脂肪組織由来間葉系幹細胞を用いた心筋再生療法の開発に取り組みました。幸いにも一定の成果を得ることができ、重症の虚血性心筋症に対して用いる細胞スプレー法の開発に至りました。ラットやブタを用いた動物実験から最終的には冠動脈バイパス術に併用した間葉系幹細胞移植のfirst in humanを達成することが出来ました。これが2021年のことで、治験の開始を見守って私は研究から離れ再び実臨床の世界に戻って来ました。2023年春頃までは手術手術の日々、ブランクがありましたが先輩に恵まれ一気に外科医として感覚を取り戻せました。しかし、コロナ禍、働き方改革、各種ハラスメントなどの社会的な問題が次々起こり、自身がそれらを体感する生活を送っていました。一方では外科医として研究者としては達成感があったため、次のステージとして開業を考え始めまた次第です。

私が開業するならばと考えたときに私自身が田舎出身ということもありDr.コトーの様な地域密着で患者さんとの濃厚な人間関係の中医療を提供するというモデルがありました。一方、開業コンサルタントとの相談では教科書通りの新規開業しかイメージがわかず、踏ん切りがつかずにいました。そんな時何かの縁で福川内科クリニック、福川隆先生をご紹介いただき東成区に辿り着いたと言うことです。辿り着いたと言う表現は、波や川の流れなど自然のような大きな力によって自分の意思とはほぼ無関係に鶴橋に来た感覚を持ったからです。

福川先生の開業医としての仕事はまさに地元に密着したお医者さんのそれであり私の理想と重なりました。

2024年の目標は私がまだ開業医新入生ですので、色々な準備をして整えたいと思っております。末長く東成区にお世話になります。よろしくお願いします。

妻の実家、北海道 旭川市

私の実家、三重県 津市

2025年1月

今宮戎神社にて

好きなもの

カレー、ソフトテニス